谷川俊太郎の死因は何?92歳で大往生!土に帰るとの独特の死生観を持っていた!?

 日本の現代詩を代表する詩人で、「二十億光年の孤独」や「朝のリレー」など

数多くの親しみやすい詩が人々に愛された谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが、

2023年11月13日に92歳で亡くなっていたことが分かりました。

谷川俊太郎さんは東京都内の病院で息を引き取り、葬儀は近親者のみで

行われたと報じられています。

今回は谷川俊太郎さんの死因についてご紹介していきます!

ぜひ最後までご覧ください!

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目次

谷川俊太郎のプロフィールは?

谷川俊太郎さんのプロフィールは以下と

なります!

本名:谷川俊太郎(たにかわ しゅんたろう)
生年月日:1931年12月15日
出身地:兵庫県神戸市
身長:166㎝
血液型:O型
職業:詩人、翻訳家

谷川俊太郎さんは1952年に第一詩集『二十億光年の孤独』を発表して以降、

現代詩の重要な作家として広く認識されています。

高校卒業後詩の制作を始める

谷川さんは東京都立豊多摩高等学校を卒業後、19歳で詩作を始め、

1950年には雑誌『文学界』に詩が掲載されました。1952年にデビュー作を出版し、

その後、数千の詩を創作しています。

数多くの受賞歴

多くの文学賞を受賞しており、1962年には「月火水木金土日のうた」で

第4回日本レコード大賞作詞賞を受賞しました。また、1983年には『日々の地図』で

読売文学賞、1993年には『世間知ラズ』で萩原朔太郎賞、

2010年には『トロムソコラージュ』で鮎川信夫賞を受賞しています。

著名な翻訳家

谷川さんは翻訳家としても知られ、特に『スイミー』や『ピーナッツ』などの

作品を手掛けています。谷川さんの手掛けた作品は英語、フランス語、

ドイツ語など多くの言語に翻訳され、国際的にも評価されています。

詩作の他にも、絵本、散文、脚本、作詞など幅広いジャンルで

活動しており、特に子ども向けの作品にも力を入れています。

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谷川俊太郎の死因は何?

谷川俊太郎さんの死因について、2024年11月13日に享年92歳で

老衰のため亡くなっています。

谷川さんの死去について、息子の谷川賢作さんはSNSで

「穏やかな最後だった」と述べています。

今年初めから体調を崩していた

谷川俊太郎さんは今年1月から体調を崩していたとのことです。

最近のインタビューで自身の健康状態について言及しており、

老化による体力の低下を感じていたことを明かしています。

特に、外出が億劫になっていると述べており、

詩を書くことが生きがいであると強調していました。

もしかすると、その頃から寝たきりのような状態だったの

かもしれません。

彼の死は日本文学界にとって大きな損失です。

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谷川俊太郎は92歳で大往生!土に帰るとの独特の死生観を持っていた!?

谷川俊太郎さんは92歳で老衰で亡くなっており、大往生したといっても過言では

ないでしょう。

そして谷川俊太郎さんは、土に帰るとの独特の死生観を持っていたそうです。

Q:早速ですが、死について、どんなイメージを持たれていますか?
A:基本的には日本人だから、一種のアニミズムというのか…木にも草にも
  神様が宿る、といった考え方と同じで、自分も死んだら「土に還る」
という考え方はありますね。             Mynavi newsより引用

※大往生→立派に生きて天寿を全うした方、または安らかな死を迎えた方。

現代医療に対しての疑問

谷川俊太郎さんは現代医療に対して懐疑的な視点を持ち、定期健診を

受けることに対して恐れを抱いていると語っています。

このような健康観は、彼自身の生き方や詩作にも影響を与えていたようです。

独特の死生観

谷川俊太郎さんの死生観について、死を生からの解放と捉え、死体は

自分ではなく有機物であると考えています。

死んだら、土に帰るとの独特の死生観を持っていたそう。

そんな谷川さんも若い頃は愛する人の死を恐れていたそうですが、

年を重ねるにつれ、死の感覚がより具体的になったと述べています。

また、死後にはモーツァルトをもっとよく聴けるかもしれないといった

ユーモラスな視点も持っていたそうです。

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