「上方落語の爆笑王」として人気の落語家・桂雀々さん
(かつら・じゃくじゃく、松本貢一、まつもと・こういち)が
11月20日に64歳で死去したことを、11月22日に
所属事務所が正式に発表しています。葬儀は近親者のみで執り行われ、
後日「お別れの会」を開くそうです。
今回は落語家・桂雀々さんの学歴、中卒といった噂、
また借金取りから逃亡したとされている
両親についても徹底的に調べてみました!
ぜひ最後までご覧ください!
桂雀々の学歴は中卒?小学6年生で両親とも逃亡?
桂雀々(かつら じゃくじゃく)さんの学歴ですが、
高校を中退しており、最終学歴は中卒扱い
ということになります。
桂雀々さんは、1960年8月9日に大阪市住吉区で生まれており、
桂雀々さんの学生時代は、のちの人生において非常に重要な時期であり、
キャリアに大きな影響を与えています!
小学校
桂雀々さんの通われていた小学校は
南住吉小学校 もしくは 大阪市立大空小学校
ではないかと考えられます!
小学生の頃からテレビの視聴者参加番組に頻繁に出演し、人気者となりました!
その番組って、関西テレビの子ども向けバラエティ
『四時だぜ!飛び出せ!!わいわいワイド』じゃないですか?桂☆そう、それです。スタジオ見学ができる生番組で、桑原征平アナが本番までの
時間を繋ぐために、見学に来た子どもをステージに上げて何か芸をさせるんです。
僕は歌手の西城秀樹さんと一緒にオープニングの歌を歌わせてもらって、
5Lより引用
当時からあの有名な西城秀樹さんとともに出演していたとは驚きですね♪
中学校
桂雀々さんは大阪市立三稜中学校を卒業しています!
中学生時代には、テレビ番組のコーナーで勝ち抜き、
チャンピオンに輝くなど、早くからその才能を発揮していました!
雀々さんは中学3年生の頃にTBSの人気バラエティ番組「ぎんざNOW!」に出演し、
「花より団子」という名前でチャンピオンになりました。
これをきっかけにその後の1977年には桂枝雀さんに入門し、
本格的に落語家としての道を歩み始めます!
高校(中退)
桂雀々さんは大阪市立第二工芸高校に入学しています!
当初は希望をもって入学した桂さん!!
しかしながら父親の借金により、中退しています。
高校昼間は帽子工場で働きつつ
落語を覚え練習していました。16歳で弟子入りが許されると、
住み込みで修行を始め、その後20年以上にわたり師匠から可愛がられました。
ギャンブル好きの父によって家庭が崩壊
雀々さんが小学校6年生の時、ギャンブル好きな父親によって家庭が崩壊し、
母親が蒸発するという壮絶な経験をしています!
お父さんは、繁盛しているうどん屋さんを営んでいたようですが、
ギャンブルに依存しており、借金まみれの生活になってしまったようでした。
行列ができるほど評判のいい屋台で、売り上げは一日何万円もあったそうです。
真面目に働けば、まともな暮らしができたのに、親父は仕入れの帰りに
住之江競艇場に行って、すっからかんになって帰ってくる。おまけに毎週、
週末には、市営住宅のわが家に二〇人から三〇人のおじさんたちが集まって
バクチを打つんです。当然、借金まみれの生活でした。
5Lより引用
桂雀々はたった1人で強く生きた伝説?
上記でご紹介したとおり、桂雀々さんは両親ともに小学校6年生の時に
借金取りから逃亡しており、結果として家庭の事情から高校を中退しています。
絶望の中落語を学び始める
このような困難な状況の中で、彼はラジオで聴いた落語「狸の賽」に感銘を受け、
自らも落語を学び始めました。この噺は、助けられたタヌキが恩返しをする内容であり、
彼自身の境遇と重ね合わせて聴いていたそうです
落語家は超実力主義!
桂雀々さんさんは1977年に二代目桂枝雀に入門し、落語家としての
キャリアをスタートさせますが、中卒という学歴をものともせずに、
日本を代表する上方の落語家として活躍されています!
落語家として成功するためには、学歴よりも実力が重視されるので、
教育の背景は、落語家としての道を選ぶ上で大切な要素ではなかったと考えられます!
そしてなんといっても、
1人で生きていかざるを得なかったことからくる
ハングリー精神があったのではないのでしょうか。
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